※この記事は旧サイトに掲載されていた記事の復刻版です。
エゴが現実の証拠を探したがるワケ
エゴは現実を見て証拠探しをしたがります。そのとき、不思議なことに良い方の証拠も、悪い方の証拠も探そうとします。
わかりやすい例で言えば、あなたに意中の人がいるとして、その人に「愛されている証拠」を探したがるし、なぜか逆に「嫌われている証拠」も探そうとします。
そのお陰で「好かれてるかも!」「嫌われてるかも…」のシーソーゲームを体験することになります。
なぜでしょうか?
エゴが嫌うのは、どちらでもない宙ぶらりんな状態だからです。自分にとって良い方の証拠であろうと、悪い方の証拠であろうと、その証拠が見つかりさえすれば安心します。
「どっちでもいいからハッキリしてほしい!生殺しみたいな状況はやめてくれ!」
エゴが落ち着かないのは現実が確定していない状態です。つまり、エゴの役目というのは現実を確定させることにあります。
これを引っくり返して考えれば、現実は確定したものではないということです。これはエゴも認めざるを得ない厳然とした事実です。
現実はあなたが思っているような確固としたものではなく、いかようにも変化する柔軟で曖昧なもの。もっと言えば何の形も持っていないものです。
僕らは考え事をしながら生きている
「今ここでは何も起こっていない」
今ここを認識した状態でよく語られる感覚です。
僕は今ここの感覚を捉えるのに苦労しましたが、今ここが腑に落ちたときの感覚を言葉で表現すると、「何も起こっていない」というより「何の属性もない」とか「何も決まっていない」の方が近いです。
僕らはただ体験しています。
「何を」とかではなく、ただ体験しているんです。
「何を」体験しているか、その属性はその都度、場面に応じて思考が決めているに過ぎません。
僕らは常に考え事をしながら生きています。スマホを見ながら歩いているのと同じ。そんな風にいい加減に人生を歩んでしまっています。
人生の旅路を歩きスマホをしながら、悪いニュースばかりのリンクを辿って「なんてひどい人生なんだ」と嘆いているのが今までの僕らの生き方です。
いいですか?もう一度言います。
僕らは常に考え事をしながら生きているんです。
このシンプルな気付きが大切なことをおしえてくれます。
考え事をしている。生きている。どちらが現実かわかりますか?
僕らは考え事に夢中になって、生きていることを忘れてしまっているんです。そして、考え事の方を現実だという、あり得ない錯覚をしています。
授業中に考え事をしていて、急に先生に当てられてハッとなるのと同じ。大きな病気や事故に遭わない限り、自分が生きていることを思い出さないほどボケーッと生きています。
考え事をしながら生きている方へのアドバイスは、「考え事に集中するのをやめて、生きることに集中せよ」です。
生きていることを忘れて生きているなんて、おかしいと思いませんか?厳しい言い方になりますが、そんな生き方は死んでいるも同然です。
「今ここ」とは「自分は今ここにいる」こと
今ここ、この瞬間にあなたが生きているということほど素晴らしい事実はありません。
今、あなたの身には何事かが起こっているのではなく、あなたはただ生きているんです。
自分が生きているなんて当たり前と思うでしょう。けれど、その当たり前を全く意識せずに生きているのが僕らです。
ごくシンプルに、生きていることを感じてください。あなたの「生きている」の感覚は、考え事に埋もれて見えなくなっています。
だから探してしまうんです。「今ここってどこにあるの?」って。今ここというのは「自分は今ここにいる」という生命としてごく当たり前な感覚です。
それ以外のものはありません。何かが起こっているわけでも確定しているわけでもない。あなたはただここにいます。
「今ここ」は得体の知れないものでも、別次元の話でもありません。
考え事をしながら生きている。
これを分けてみましょう。
「考え事をしながら」「生きている」
前半部分はいりません。後半部分の「生きている」だけがあればいいんです。その「ただ生きている感覚」が「今ここ」です。
あなたの思っている現実は、ただの考え事であって現実ではありません。あなたは今ここで生きている。そちらが現実です。
ここは本当に大事なところです。
あなたが今ここに生きているということ以外は、全て現実ではありません。それが願望実現の世界で、現実は幻想だと言われる所以です。
僕らだって結局はただの生き物
すぐには受け入れにくいかもしれませんが、例えるならあなたは木と何ら変わりありません。
木は自分の意思で旅行に行ったり、声を出して大笑いすることはできません。だからといって死んでいるわけではなく、生きています。
木はこう感じながらそこに立っているでしょう。
「風が強いな」
「晴れだな」
「雨だな」
「葉が落ちたな」
それが人間のように思考する木だとしたら、こう感じるでしょう。
「風が強いな。なんで風なんて吹くんだ!葉が落ちるだろバカヤロ!」
「晴れだな。ったく、いくらなんでも暑すぎるだろ!なんでこんなに暑いんだ!こっちは喉が渇いてるんだよ!」
「雨だな。うぜー。マジでむかつく!なんで雨なんか降るんだよ!ふざけんな!」
「葉が落ちた。もしかして…このまま全部の葉が落ちるのかな…そうしたら俺はどうなってしまうんだ…嫌だ!なんとかしてくれ!」
では続きの文章を読む前に、まず服を全部脱いでください。それから読んでくださいね。
では、ほとんどの方が服を着たままでしょうけど話を進めましょう(笑)
あなたは裸で生まれてきました。そして、今でも服を脱いでしまえば裸の生物です。他の生き物と変わりません。どんなに偉い人だって同じ。大統領だって総理大臣だって服を脱いだら、ただの裸のオジサンです。
あなたは今まで様々な経験をしてきたでしょう。そして今、辛い状況にある方もいるでしょう。
あなたが今までに経験してきた全てのことは、あなたが生きているから経験できたこと。全ての経験は元を辿れば裸の生物でしかないあなたが経験したことです。
本来のこの生物は木と同じ。風が吹こうと、雨が降ろうと、強い日差しを浴びようと動じない強さを持っています。僕らも自然物の一つであって、何も特別な存在ではないんです。
けれど、その生物はゴチャゴチャと考え事をして、その経験の意味を問おうとします。この生物の長所は思考することであり、短所もまた思考することです。
あなたに起こった現象を生物という視点、あるいはもっと根本的な生命という視点から見れば、特に何の属性もありません。
ところが人間という視点になった途端に、起こった現象は属性を帯びます。「楽しいことが起こった」「悲しいことが起こった」という具合です。
僕らは生物として生きているという事実より、「どのように生きているか」にばかりに気をとられています。ですから生きているという原点に立ち返ってください。
裸の生物として経験するのか、人間として経験するのか。エゴから離れた状態と、エゴにまみれた状態との違いがそこです。
少しずつ変えるより、一度ぶち壊した方が近道
仮に僕らから思考を取り除けば、思考しない生物となります。生物とは生命そのものであり、エネルギーです。
本来の僕らはただのエネルギーなんです。
なぜ僕らの心臓は動いているんでしょう?それは僕らがエネルギーだからです。勝手に動いているわけではありません。
僕らはなぜ食べ物からエネルギーを得ることができるんでしょう?それは口にする動植物もまたエネルギーだからです。
では、太陽光で発電できるのは?風が吹くのは?マグマが活動するのは?やっぱり全てがエネルギーだからです。
僕ら自身もエネルギーだし、周りにあるものも全てエネルギー。僕らは自分というちっぽけな存在から宇宙に至るまで、丸ごとエネルギーに囲まれている存在です。
エネルギーに満ちているから、常に何らかの現象が起こります。起こる現象には特に意味はありません。単に起こっているだけ。
それをいちいち解釈して現実を作り上げようとするのがエゴです。
願望を実現したいなら、ネガティブな思考をポジティブにひっくり返そうとするより、今ここを体感して一旦フラットするのが先決です。
自分が一つの生命体であり何の属性もないこと、さらに言えばエネルギーの塊であるという原点に立ち返ってください。
本来は何の属性も備わっていないものに、思考がせっせと属性を与えているんです。だから、何の属性もない状態に戻ってください。そして好きな属性を与えてください。
一気に変えたい気持ちもわかりますが、今までの思考をチマチマ修正するより、思い切ってぶち壊してゼロに戻してから作り直した方が早いです。遠回りのように見えて、間違いなく近道ですよ。
”こども先生”の生き方を学ぶ
身近に幼児がいる方は、彼らの生きる姿を見てください。小学生ぐらいになると、少しずつ考え事をしながら生きるようになっていくので幼児がいいです。
彼らは考え事をしながら生きるなんていう、いい加減な生き方はしません。生きることに全力を傾けています。
自分がエネルギーの塊であることを知っていて、全てがエネルギーであることを知っています。全てのエネルギーと繋がっているので、あんなに元気なんです。
彼らは何もなくてもよく笑います。何もなくてもはしゃぎ回ります。
ただ生きていることが楽しいんです。生きるということ自体を経験するのが楽しいんです。
僕らは、いいことや嬉しいことがないと楽しい気分にはなれないと信じてしまっています。無条件に楽しくいることを自分に許していません。
考え事をしながら楽しいことに熱中する。そんなの無理なのはわかるでしょう。
生きているだけで楽しいのに、考え事をしているから楽しくなくなってしまうんです。このシンプルな原則を知ってください。
幼児はあなたの身近にいる小さな先生です。今ここを生きれば、こんなにも楽しく自由に生きることができることを証明して見せてくれているんです。
本来の裸の生物であることを感じてください。あなたは木のように不動の心を持った力強い存在です。
あなたの生命を感じてください。心臓の鼓動や呼吸に意識を置いてみてください。
あなたが自分の命を感じることが「今ここ」です。