あなたは「死にたくない」ですか?それとも「死んでもいい」ですか?
そんな質問が仮にあったとしたら、大半の人が「まだ死にたくない」と答えるのではないでしょうか。
では「まだ死にたくない」という人と、「いつ死んでも構わない」という人。どちらの人生が充実しているでしょうか。そして「まだ死にたくない」のはなぜでしょう。
「まだ死にたくない」という人は、きっとやり残したことがあるのでしょう。もちろん、死ぬこと自体が怖いということもありますが、今死んでしまっては困る何かがあるはずです。
一方、「いつ死んでも構わない」という人は、一般的な感覚だと退廃的だとか刹那的だとか云われますが、見方を変えるとそれは決して破壊的な感覚ではないことがわかるでしょうか。
「いつ死んでも構わない」という人には、良くも悪くも後悔がないのです。それは「やり残したことは何もない」という場合もあるし、「こんな世界に未練はない」という場合もあります。
いずれにしても、「まだ死にたくない」人よりも過去や未来に執着していない状態といえるでしょう。
「まだ死にたくない」人は、人生を振り返って物足りない部分があるのでしょう。それを人は後悔と呼びます。そして、未来へ向けて「まだ何かあるかもしれない」と期待しているのでしょう。
どうでしょうか。「まだ死にたくない」人の方が、過去や未来に執着しているといえるのではないでしょうか。
僕らは、人が亡くなったとき、特に若い方が亡くなったときにこう言います。「まだ若いのに。まだやりたいこともあっただろうに」。
本当にその人が後悔を持ったまま亡くなっていったのかはわかりません。けれど、過去と未来に執着すると、どうしてもそう思ってしまうのです。
これは、別に命を軽んじろと言っているわけではありません。過去や未来に執着せず、「いつ死んでも構わない」と生きている方が命が輝くのです。
少し想像してみてください。「今日死んでは困る」と思いながら生きるのと、「今日死んでも悔いはない」と思いながら生きるのと、どちらがポジティブでしょうか。
生きることへの執着というのは、結局のところ過去と未来への執着なのです。過去は記憶の中に、未来は予測の中にしかありません。つまりは実在しないものなのです。
実在しない過去と未来への執着が、大切な「今」の輝きを失わせているのです。「今」という瞬間が、唯一にして最も輝いている部分です。
その輝きがあるから、「今」の周囲にある過去や未来が薄らぼんやりと見えるような気がしてしまいます。けれど、それに惑わされてはなりません。
あなたはただ「今」という輝きを見ればいいのです。もしも今日があなたの人生最後の日なら、どのように過ごすでしょうか。
今あなたを悩ませている如何なる問題も、どうでもいいことになるのではないでしょうか。だって、今日が終われば死んでしまうのですから悩む必要がなくなるでしょう。
それよりも、きれいな景色をこの目に焼き付けておきたくありませんか?可愛らしいものに優しく触れておきたくありませんか?美味しいものを食べたくありませんか?大切な人に感謝を伝えたくありませんか?
過去の嫌な出来事など、どうでもよくなり、未来への不安も何の意味もないものになるでしょう。それよりも、好きなもの、可愛いもの、愛しいもの、憶えておきたいものを必死に五感に留めておこうとするのではないでしょうか。
さぁ、今日が人生最後の日だと思って探してみてください。あなたにとって、好きなもの、可愛いもの、愛しいもの、憶えておきたいもの。それらを探すのが上手になるにつれて、あなたの命が輝いていきます。